2年生

  • 2011.04.11 Monday
  • 19:56

板橋駅。真ん前に近藤勇のお墓があります。
板橋刑場で処刑されたそうな。

いやぁ、さっき久々にぎゅうぎゅうの電車に乗りました。
知ってて引っ越したんだけど、やっぱり埼京線はやばい。サックスとバック持ってたから余計しんどかった。っていうかさっき大きめの地震があったせで電車が遅れてたんで、そのせいもある。
ちなみに明日が大学の部活紹介なので、新入生の前で演奏します。初サックスでホール。学校にホールがあるってすごいよね。学校で演奏会出来るんだもんね。音大だから当然か...

で、今日はその練習だったんですが、咳のやばいことやばいこと!
1回よくなりかけたんですが、ぶり返したようです。喘息の薬って苦いから嫌なんだよね。
前回よりもさらに悪化して、もうしゃべるのもままなりません。お陰で会話が出来ないので寂しい思いをしてます。
さっきも学校で仲間とたむろしてたんですが、話したことがない人がいたのでチャンスと思ったのにそんな余裕ありませんでした。本当はお花見の予定だったんですが、雷がなって雨もひどかったんで、例によってA館地下に集まりました。
新しく設置された自販機(コップが出てくるやつ)でフローズンてのがあって、思わず買いました。ホットも出るのにフローズンも出るとか、最近のはすごい。

でさっき地震が起きたんだけど、もうあんまり驚きはしないよね。みんなといたお陰なのか?
そういえば5強のときにいたB館だけど、相当古いらしく、結構危ないらしい。たしかに誰かが走ったくらいで床揺れるし。だからこの前のときも余分に揺れたに違いない。多分。

そっか、今日でちょうど1ヶ月なんですね。こっちにいる分には計画停電にあわないけど、実家は頻繁になってたなぁ。朝なって夜なってって、それで風邪ひきましたよ。
田舎ほどなりやすいのか、停電の区域内の地域であっても東京はほとんどなってないようです。毎日停電だったとこっちの人に言ったらびっくりされました。
節電も当たり前になって、お店や看板の照明が落ちているのにも、学校や駅の中や電車内が暗いのにも慣れました。


で、明日本番なのに咳がすさまじすぎてサックスが吹けないという事態です。マズイ。
アルトだと言われたのでアルトを担いで行ったのに、着いたら「湯浅はテナーだ」と言われ、アルトは吹かずじまいでした。まあテナーの方が吹きやすいからいいんですけどね、ええ。


そんでさっき医者に行って来たんですが、「相当気管支に負担がかかってる咳ですね。結構危険です」と。
うん、気管支めっちゃ痛い。しんどい。ストレスたまる。腹筋痛い。筋肉痛。咳で肋骨折れる人がいるっていうのがよくわかります。ちゃんと寝てるのにめっちゃ眠いのは絶対咳のせいだと思う。咳って疲れます。
吸入薬が強いやつに変わりました。それで木曜までに治まらなかったらレントゲンだそうです。

うーん。咳喘息は30%が喘息に移行するそうで、その危険があるってことですね。
喘息は年間死亡者数が交通事故と大差ないくらいの怖い病気です。日常生活もままならない、かな?
それは避けたい〜〜〜
しっかし、ホントしんどい。息を吸うのもツライ。


さて、心配だったH先生の単位も和声の単位も無事取れてまして、無事進級できました!
大学に進級も何もないけどさ。

うお、書いてたら地震が...
やっぱりひとりでいると怖い。
実家に帰るーーーーーーーーーーー泣

春休み3

  • 2011.04.05 Tuesday
  • 07:37
 23日、姉がしばらく札幌に行くので羽田まで姉を見送りに行って、私も東京に戻ることにした。羽田空港は高専4年で沖縄旅行に行ったときに使っただけなので、姉を見送った後ひとりでしばらく探索しました。



せっかく来たんだからってことで、飛行機の離陸が見える4Fのカフェでひとりお茶をしてから帰りました。

アパートに戻ってからは地震で散らかった部屋の整理。ごめんなさい、地震のせいにしたけど元から汚かったです、はい。
でも棚の本は崩れて落ちてたし、目覚まし時計は落ちて壊れてた。まあ、機材が無事でいてくれて何よりです。なぜかiMacがしばらく起動しなくて焦ったけど。

26日。ウインドの演奏会は中止になってしまいましたが、追いコンだけはやりました。
行く前に銀座でサックスを買いました。
追いコンはもちろん池袋で。卒業生の人数と在校生の人数が同じくらいというアンバランスさなんで、一気に寂しくなりました。残り10人だけになってしまい、このままでは各楽器1人ずつというとんでもない吹奏楽になってしまうので、新入部員をゲットしなければいけないです。

OBの方が5人来てくださり、例の山下さんはなんと隣の席に。
しかし色々話したかったのに、私は咳が止まらんのです。不快に思われたでしょうか...

そう、私は声を大にして叫びたい。
風邪でもインフルエンザでもない、これは咳喘息だ!
うつらないから逃げないでーみんな〜
でもゴホゴホうるさくてごめんなさい。


あ、スルーしそうになりましたがアルトサックス買ったんですよ!!
せっかく防音の部屋に引っ越したので買おうと思ってたんです。
詳しい人と選んだ方が良いということだったので、ウインドの顧問の先生とサックスの先輩に一緒に行っていただきました。本当に感謝です。ありがとうございました。自分ひとりじゃとてもじゃないけど選べなかったです。
買ったのはYAMAHA CustomZ。先生に8ガケにしていただき、非常に助かりました。




今のところちゃんと毎日吹いてます。続くように頑張ります。
ピアノ優先でやらないといけないんですけどね〜ははは。

てことであっと言う間に新年度。
はたして単位は取れたんでしょうかね。
今年は映放15人受験者がいたそうで、新入生が何人いるか、知り合いが何人いるか楽しみです。

和声やらなきゃー!!
曲作んなきゃー!!
アレンジやんなきゃー!!
ネコ飼いたいーーーーーーーーーー!!!!!!!!

春休み2 色々あった編

  • 2011.04.05 Tuesday
  • 05:48
 3月11日昼、大学に向かう途中にお寺の前を通ろうとしたら「すみません、ご協力お願いします」となぜかお兄さんに止められた。「1分ほどで終わりますので」。なんと、ドラマの撮影らしい。
『うおードラマの撮影現場なんて初めて見たぜ!』と一瞬テンションが上がりましたが、いかんせん私はただでさえ遅刻ギリギリ、っていうか遅刻確定だったのです。早くしろ〜!!!と焦ってました。

するとお寺から声が聞こえる。撮影してるっぽい。
で、誰かがかっこいい感じにお寺から歩いて出てきました。

...あ、竹中直人。

まさかの竹中さんでした。
「ご協力ありがとうございましたー」と言われ、野次馬してる余裕もなかったので急いで大学に向かいました。したら反対側には女子の集団がいて「うわ、相葉くんだ!!」と賑やか。どうやら嵐の相葉さんもいたらしいです。
ドラマ「バーテンダー」の撮影だったみたい。
初、撮影見学?でしたー。

しかしそんなことも、この後のことが衝撃的すぎてすっかり忘れてました。

で、学校でウインドフィルの合奏をしました。
合奏が始まって1時間がたった頃、小さく横揺れを感じました。
揺れは止まらない。さらに大きくなる。

でもみんな何も言わないし合奏中だったから最初は我慢してたんですが、怖くなったんで「地震!」と言って中断。揺れはどんどん大きくなる。
机と椅子はガタガター!!と揺れに合わせて動きまくり。天井から吊ってある電気は落ちるんじゃないかってくらいブランブランと揺れる。ちなみに場所はB館3階。

私はパニックになりかけだったんですが、ウインドの人たちはなぜか割と落ち着いてた。多分。
ピアノの下に隠れたり、カーテンにくるまったり珍行動をしてる強者も。

揺れがおさまったころ、結構たくさんの人がB館駐車場に避難してるのが見えました。当然私たちも避難するものだと思ったら、ウインドの人たちは落ち着きすぎて、練習再開でもしそうな雰囲気に。な、なぜ!!
学生課の指示があって避難したんですけどね。
B館の外壁が一部剥がれてました。

屋外待機ってことで、学生と先生と事務の人はしばらく外に固まってました。その寒いこと寒いこと。上着と貴重品を持ってくればよかったと激しく後悔。心優しい先輩が服を貸してくださったので、難を逃れられました。
しかし、こういう時って必要なものだけは持って逃げるのか、何も持たずに真っ先に逃げるのかわからなくなります。ってか今もわからない。

待機中に事務の人から地震は震度5強だったとの発表がありました。あれで5強とは。死ぬかと思ったぐらいなのに。震度と震源がまだわかってなかったときは「これが東京大地震ならいいのに」と思ってましたが、とんでもなかった。東京でこの揺れだったってことは、東北は一体...しかも、直接的な揺れなんかよりも、津波の方が比べ物にならないくらい脅威だったわけだから、被災地の人はどれだけ怖い思いをしたのか。っていうか被災地ってどこまでを言うんだろうね。実被害が出たら含まれるのかね。

楽器を出しっぱなしにしてきてしまったので、警備の人の目を盗んで楽器を取りに戻る人多数。私も例外ではなく戻りましたが、音大生は楽器を大事に抱えて移動する習性があるため、万が一の時は危ないよなぁと思いました。

しばらく待ったらA館(一番新しい建物)が避難場所に指定され、とりあえずみんな中に入りました。まだ結構大きい揺れが続いてて、電車に乗ってるときの感覚みたいだった。
しかしA館ってガラスがふんだんに使われてる建物だから、避難場所としては絶対適してないだろと思った。
カンパン等の非常食とペットボトルの水、毛布が配られて、まさに災害時って感じだった。大げさ感は否めなかったけど。

しかし東京音大は動じなかった!
ちょうど実技の試験中だった科があったんだけど、なぜか試験再開に。
まだ揺れてるんですけど。非常食まで配られてみんな床に毛布敷いてる状況で、なぜ試験再開。
非常に気の毒でした。

夜まで全ての電車が止まってたので、大抵の人はA館に留まってました。私は板橋なので歩いて帰れる距離なんですが、この状況で帰ってアパートに1人というのは心細かったので、みんなに便乗して学校にお泊まりしました。

結局朝までウインドのメンバーで騒いでました。のんきにラーメンを食べに行った後学校に戻り、お菓子を買ってきてパーティーみたいになって馬鹿話で盛り上がって笑いまくって、非常におかしな状況でした。
テレビでニュースを見れる部屋があったんですが、あまりの衝撃的な映像にその場を動けなくなってしばらくテレビに釘付けでした。で、緊急地震速報の音が響く度に心臓バクバク。その部屋にいたんじゃ心臓がもたないと思って、やっぱりウインドメンバーで騒ぎました。

あのウインドのメンバー(っていうか、私の学年だけ)の能天気さは異常なものがありますが、本当にみんなといてよかったなと思いました。アパートにひとりだったら心臓が止まってたことでしょう。圧倒的にひとりで過ごす時間の方が多い春休みの中で、そこはタイミング良かった。
途中友達と買い出しに池袋をうろついたんですが、早くもコンビニからは品物が消えてるし、バス停には百人単位の列ができてるし、大勢のサラリーマンたちが黙々と静かに駅の方面に向かって行く様子はなんだか不気味で怖くて、かつシュールで、百鬼夜行みたいでした。

12日の午前に仮眠をとってたら、ウインドのほとんどのメンバーは帰ってました。私は14時頃板橋に帰って、大まかな荷物をまとめて実家に帰りました。
しっかし、その駅の混乱状況といったらなかったです。
ニュースで運転再開といってた線は動いてないし、次の電車がいつ来るかまったくわからないし、まあそんなことはどうでもよかったんですが、とにかく満員すぎて電車に乗れない。ホームに行列ができてるのに、到着した電車はまんぱん。しかし「これ以降の電車は未定です」と。
1本見送ったその次の電車も乗れそうになく途方に暮れてたんですが、目の前のおっちゃんが「中側の人、詰めてください!!」と何度か叫びました。すると、ちょっと乗れそうな兆しが。「あと2人いるから!!」とおっちゃん。最後尾の私までなんとか乗れたんですが、鞄がつっかかる。そしたら別のおっちゃんが「ほら、頑張れ!」と鞄をグイッと引っ張ってくれてなんとか乗車出来ました。
おっちゃんにお礼を言うと「言えばみんな詰めてくれるからね、ははは」と。ちょっと心が温まりました。

3回乗り継いだあげく籠原(埼玉)止まりだったので父に籠原まで迎えに来てもらって、お陰さまで無事に実家に帰れました。高速を走ってたら自衛隊のトラックが何十台も隣の車線を走ってました。東北に向かって行ったみたいです。

実家に帰った翌日の昼過ぎ。
末期がんで自宅療養中だった祖父の容態が急変して、亡くなりました。姉と「お見舞いに行こうかー」なんて準備してたときに「急いで来てくれ」との連絡があり、行ってみると親戚が集まって必死にじいちゃんを励ましているところでした。それから20分後くらいだったと思います。
幸運にもというかなんというか、最後に立ち会うことが出来ました。地震がなかったら実家にいなかったので。
親族みんなに囲まれて、住み慣れた自宅で亡くなったじいちゃんはきっと幸せだったと思います。みんなで「マイクロバス借りて花見に行こう」「焼き肉食べに行こう」とじいちゃんに語りかけている中で、本当に眠るように安らかに息を引き取りました。

実は2月にじいちゃんに曲を作ってプレゼントしたんです。急いで作ったし出来は良いとは言えないですが、とにかくじいちゃんのことを考えながら作りました。相変わらず下手な歌ですが、歌詞も付けて歌いました。
天国でたくさん聴いてくれるといいな。

その曲は最初に両親に聴いてもらったんですが、2人ともそれを聴いて泣いたのでびっくりしました。親が泣いてるところなんて初めて見た。兄ちゃんも号泣してた。
まあ私の曲に泣いたというよりも、じいちゃんを思い出したからなんだろうけど、何にせよそういった想いを人へ届けられる音楽というものは素晴らしいなとしみじみ思った。
親父はその曲を未だに1日20回くらい聴いてるらしく、よく頭がおかしくならないなと思う。本当にあの曲を気に入ってくれたのか、むしろここまで来るとただの親バカなのかわからない。


さて、その後しばらくバタバタして、さらに咳喘息になってしまいゴホゴホしまくって、気付けば暇になってました。だって音楽の道具はほぼ東京に置いて来てしまったんで、実家じゃほとんど何も出来なかったんです。せめて和声持って来とけばよかったと思った。

携帯を替えようと思ってた日に地震があったんで、ガソリンが無かったり計画停電だったりでしたけど携帯を機種変しに行って、念願のスマートフォンになりました。今まで充電しても電池が5分と持たず、液晶がぶっ壊れていたのをずっと我慢して使っていたので超ルンルンになってしまい、3日間くらい携帯をひたすらいじってました。

欲しい機種が出たばっかりでなかなか置いてなかったんで地元で携帯を扱ってる店を片っ端からあたったんですが、15年ぶりくらいに超地元の家電屋にも行ってみたんです。そしたら店員が全員私服のおばちゃんで、台所用であろうエプロンをつけてて『ああ、群馬だなぁ』と思いました。

長くなってしまったので、続く。

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